私は東京大気汚染公害裁判の原告、石関三枝子です。環境大臣に私の苦しみを、どうしても知っていただきたいと思います。
今から15年程前から、息切れがする様になり、12年前からは気管支ぜん息といわれ、毎日薬を飲み、発作が起きると病院で吸入や点滴をしてもらうようになりました。
その当時長男は結婚していたので、私はパートタイムで働きながら、次男と二人で暮らしていました。発作が起きると、病院で治療を受けて遅刻や早退をしながら働いていました。だんだん仕事に行けないことも多くなりましたが生活のため必死で仕事を続けてきました。
しかし平成13年からは年に3回・4回と入院をくり返すようになり、7〜8分で行けるところへ1時間もかけて歩くようになりました。いつも酸素不足で頭が痛くて仕方ないのですが、寝ることができないので身体は疲れ切っています。
そしてなにより辛いのは発作の苦しさです。息の出来ない苦しさと恐怖は何百回・何千回経験しても決して慣れることはなくて、体中の穴から汗や涙、鼻水や尿が流れ出てきます。四六時中くびを絞められているような息づかいで、キリキリと閉まる気管支には接着剤のような痰がつまり、喉元まであふれ出てきても吐き出す力もないのです。少しでも楽になりたくて、家中のいたるところに吸入器を置いています。
こんな状態が6年も続いています。働けなくなってからは、次男が私の生活を援助してくれていますが、未救済の私の医療費や入院費は負担が重すぎて、息子に申し訳なくて、私が死んだ方がどれだけ楽かと、思わない日はありません。
入院するたびに、何度自殺をしようと思ったか、知れません。
せめて医療費負担がなくなれば、認定患者のように生活補償費があれば、息子は欲しいものも我慢して私の援助を続けなくても済みます。
今は、お風呂に入るのも命がけで、入浴前に母や友人に電話を入れて30分経っても連絡がなかったら救急車をよんでもらう約束になっています。
私の様な患者が生きていくために、国は新たな救済制度を確立してください。
2007年6月4日

環境省交渉を終えて(車いすの石関さん)
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