裁判の勝利へ、体を張ってがんばる綿貫政視さん
お母さんもぜん息、自分もぜん息、毎日薬が欠かせない生活

綿貫政視さん(60歳) 原告団・幹事 東京・墨田区

 5年前、亡くなったお母さんの遺影が飾られた部屋。扇風機の横に置かれた卓上電気ミシンほどの大きさの器具は、ぜん息発作を緩和させる噴霧器(写真下右)。毎日数種類の薬を3回飲む必要があります。「これがなかなか面倒でね。忙しいと、つい、忘れちゃうですよ。そうすると、てきめん。発作がくるんですよ。飲むと治まる。薬ってすごいですよ」と、人なっこい笑顔で説明してくれる綿貫政視さんは4次原告。ヘーベルハウスの施工を20人ほどの従業員を使ってやっていた親方でした。建設重機の排ガスやエンジンをかけっぱなしの仕事環境の中で、体には自信があったはずが、50歳の時、大発作。以来、仕事はできなくなり、現在は生活保護を受ける状態に追い込まれました。景気が良かった時に集まった人間は、潮が引くように消えました。
 ぜん息とガンに冒されたお母さんを在宅介護で看取り、今、裁判勝利をめざす署名を3000筆以上、集めるなど、からだを張ってがんばる綿貫さん。「からだを大切にして」という仲間。綿貫さんの闘争心を聞きました。
「僕はね。母親が亡くなるまでは死ねないと思ってきた。だって、俺が死んだら母親はどうなるのよ。自分でトイレにも行けないんだよ。初めのころは手すりにつかまって行けたけど、その内、行けなくなった。人工肛門の世話にもなっていたから、全部、俺がしなければだめだった。その母親を看取ることができたので、俺はいつ死んでもいいんだ」。
 衝撃的な話から始まった綿貫さんへのインタビュー。

写真上・ぜん息薬を口にする
左写真・身体障害者手帳
右写真・気管支拡張の噴霧薬
綿貫さんは各種の薬に頼る生活を余儀なくさせられている。

 インタビューの半分以上は綿貫さんの波瀾万丈の人生・奮戦記だった。ヘーベルハウスの仕事をいかにこなしてきたか。フイリピンやバングラディシュの外国人従業員と一緒に仕事をする苦労。何も分からない、分かろうとしない元請会社の社員。元請企業の倒産の中、従業員の生活を守るための闘争。「闘争心がなければやっていけないよ」と綿貫さん。
 汚い、危険、暗いの3K職場で従業員に働いてもらうためには親方の自分自身が労働環境の悪いところをやるしかなかった。エンジンのかけっぱなし、ドドッと吹き出るいろいろな排ガスの中、否応も言えず仕事をしてきたのです。

東京に戻ると咳き込んだ
 「体は丈夫で50歳まで病院なんってかかったことがない」という綿貫さんは、ぜん息で病院に入院することになります。
 「母親は僕が生まれる前から東京にいた。だから僕は生まれた時から東京。青森、秋田を歩いたことがあった。苦しいってこと感じたことがない。空気がおいしいんですよ。東京に戻ると咳き込んだ。考えたら、東京で落ちるような星なんって見たことがない。大体、ぽっん、ぽっんだよね」と、10階の自宅ベランダーから隅田川上空の夜空を指さしていう姿は詩人のように見えた。
 「今、身障者手帳をもらい、生活保護をうけているから治療費はただだから、やっているが、いちいち区役所に行って、診察受給書なんかをもらわないといけないから、面倒だよ」と、明るく、なんでも話す。

損害賠償金の使い途
 その綿貫さん。親戚や過去の取引関係、友達の話になると口調が変化。お金がなくなった途端、寄りつかなくなっただけでなく、冷たくなったという。そのため、母親の遺骨はいまだに墓に入れることができないままだという。「いま、おこしている裁判で損害賠償が認められたら、母親の墓を建てることができるかな。それが僕のいまの希望かな あ」という。
 母親も自分も排ガス被害でぜん息になって、裁判をおこして闘っているが、その損害賠償金の使途はあまりにもつつましく悲しい。

話題を署名に
 3000以上の署名を集めるってすごいです。どうして集めたんですか。すると、予想外の答えが返ってきた。
 「署名は自分の天職だと思ってやっているですよ」と、つづけて「人に負けないぐらいやろうという闘争心があります」と。

3000の署名、どうして集めたか
 とにかく、本部がすごいですよ。いくつやれって言ってくる。半端じゃないから、半端なことでは集められないんで、それでどうしたら集めることができるかって、考えた。
 町内会の役員で店をやっているのがいて、そこに来る偉いやつをつかまえようと。飲んでいるでしょ。カラオケに手をたたいてやる。向こうも喜こぶ。あんまりうまいんでと言って、一杯おごる。すると親しくなって、 「実は、俺って」、署名の話をする。大体、「分かった。やってやろう」と言ってくれるんだ。「会社のみなさんにもお願いしますよ」って、これまでに結構大きな会社3つにお願いできた。あと、学校にも頼んでやってもらった。

綿貫さんの悩み
 「しかし、もう行くところがなくなって、困っている」という。確かにそうだと思う。綿貫さんの悩みもそこにあった。
 裁判に勝つために署名は大切。1枚よりも2枚集めた方がいい。自分一人でがんばっても限度がある。そこで原告名簿をもとに原告訪問をして署名を広げてもらうように訴えて歩いた。
 ところが、これがなかなか思うようにすすまない。原告仲間を訪問すると「うちは署名しない」と言う人に出会って、綿貫さんも面食らったことも。
 署名をしてもらうため1時間しゃべって、やっとしてもらえたことも。だから署名集めは簡単じゃないのに、「まだ、これだけしか集められないの」という声にカチンとくる。
 がんばってここまでやっている。足を棒にしてみんな歩いている。北千住と西新井の駅ではずっと署名をやっていて、反応は結構いい。ただ、「もうやった 」という人が増えてきていて、これから先、どうして増やすか。言われると、ふざけるなって思うし、しゃくにさわる。「増えてないじゃないか」と言われると弱い、それを考えると頭が痛い

 綿貫さんは率直になんでも話す人だった。それだけに最後の苦悩は、多くの原告の人たちが今、突き当たっている問題のように思えた。  (インタビュー 2004.8.12)

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