西順司さんの場合

西順司・東京大気汚染公害裁判原告団団長に聞きました

西順司さん
(71歳/東京大気汚染公害裁判原告団団長/都内北区在住)
西さんがぜん息被害者になった状況を教えてください
西・まずみなさんに知ってもらいたいことがあります。それは、僕が会社(製本)に勤めた20代の頃、僕は徹夜をしてもへっちゃら。60年安保闘争には組合青年部で国会座り込みを何度もして体力には自信があって、虚弱体質でもなんでもなかったんです。
 なぜこんなことを最初に話すのかと言うと、ぜん息になったのは自分が気管支が弱いからだとか、アレルギー体質だからだと自分に言い聞かせている人や家族や回りの人も、そう言う人が多いからです。でも自動車排ガスによるぜん息は、そんなものじゃない。体に自信がある人も、空気を選ぶことができない以上、いつぜん息患者になってもおかしくない。かつての環境によって今、ぜん息が発症していることもあるんです。
 ぜん息という言葉は昔からありましたが、それは年配者の病気で、タバコの吸いすぎがいけないとかということで、青年でぜん息持ちというのは聞いたことがない。だから僕が30代に入ってゼイゼイ咳をするようになっても、大変な病気だとは思ったこともなかった。ゼイゼイ言って、呼吸困難が起こるから、医者もぜん息だということはすぐわかった。ただくれるのはぜん息を緩和する薬とか注射をしてくれた。それで治まったので僕も気にとめなかった。
 だが、たびたびぜん息の発作が起こるようになって、これは風邪が原因じゃなさそうだ。医者はお前は製本会社に勤めているから、製本のホコリでなっちゃうんじゃないか。製本のホコリにダニが一杯いるんじゃないか、それでぜん息が起こるんだ。だから職場を辞めちゃった方がいいんじゃないかと簡単に言う。

 西順司さんは、原告団団長として体の調子が許す限り、東京大気公害裁判の支援を訴えています。
 左は04年7月16日「東京大気汚染公害裁判支援荒川連絡会議結成」のつどいであいさつする西さん。
 前日まで医師から安静を言われていたのですが、支援の会の結成ときいて、かけつけたといいます。

生活があるから会社を辞めるなんてことは簡単にはできないですよね。
西・そうなんです。それにその頃、会社に臨時工制度というのがあって制度の廃止(臨時工の解雇)を会社がいい出したため、労働組合として制度廃止反対の闘争をした。僕は21歳で青年部長になり、組合執行委員をしていました。この問題が一決着すると会社は71人の首切りをしてきました。この首切り反対闘争を8カ月たたかうなど、経営側の不当労働とのたたかいがずっと続き、この中で僕は、組合委員長になるんです。だから会社を辞めるなんてことは考えたこともなかった。

咳は出てたんでしょ
西・ゼイゼイ咳が出るんで、減感作療法をすることになった。この治療法は、発作をできるだけやわらげて強い発作を起こさせないようにするもので、自分の体の中に抗体を作って発作を押さえる対処療法です。で、そのためにはアレルギンの因子をつきとめなければいけないので、アレルギー検査をすると出てくる反応はエビとかハウスダスト。それで会社の床のゴミを持ってこいということになり、紙ボコリを持って行って、特別に製薬会社に頼んで液体をつくって注射する。これを3年間ほどやったが全然効きもしない。結果的に会社のハウスダストじゃないということになって、やめたんです。

ぜん息の原因が分からなかったんですね。その時、自動車排ガスが原因と思ったことはなかったんですか。
西・自動車排ガスがぜん息の原因だとは、僕も、医者も、世間の誰もが考えたことはなかった。でも後で知ったことだけど自動車メーカーは排ガスから二酸化硫黄や二酸化窒素が排出され、それが環境によくないことは十分承知していた。ただそのことは自動車メーカーも隠していたので、その頃、ぜん息で話題になっていたのは家のダニによるアレルギーぜん息だったと思う。また大気で問題になっていたのは工場の煙突から吹き出る煤煙でした。どの工場も重油を焚くので街中がスモッグに覆われ、一年で富士山が見えた日は何日ということが新聞の大きな話題になるほど、東京の街はスモッグに覆われていた。問題になっていたのは工場の煙突からでる煤煙と二酸化硫黄(SO2)でした。しかし、僕はスモッグや街を走る自動車排ガスが大変だと思ったことがなかった。それは、スモッグに包まれた街や自動車排ガスの黒煙は日常風景だったし、僕はもっとひどい臭いと自動車排ガスの中で仕事をしていたからです。

西さんが働いていたのは東京・文京区小石川の共同印刷と聞いていますが
西・共同印刷の子会社で製本部門の会社でした。仕事場は共同印刷が1960年に完成させた用紙荷受場に面していたんです。この年はカラーテレビの放送始まったり、ダッコちゃんブームが起こり、岩戸景気に湧いた年で、印刷業界は週刊誌ブームでした。用紙荷受場に製紙会社の大型トレーラーが列をなしてでっかい巻き取り紙を納入にくるのです。また私の会社で製本したものを受け取りにくる車で、小石川の千川通りは慢性的な交通渋滞が続き、周辺住民や警察からも「なんとかしろ」と会社に苦情がくるほどひどいものでした。で、僕の仕事場は大型トレーラーがエンジンを噴かして荷降しをする場所に面していたので排ガスがまともに入ってくるわけです。でも製本の仕事場というのはインクのにおいやニカワの臭いがごっちゃになったくさい職場ですから、臭いがくさいなんっていうことは誰も気にしないんです。夏なんかは今のようにクーラーなんかないから窓を開けっ放しにして仕事をするもんだから大型トレーラーの排ガスがまともに吹き込んできてたんです。

西さんがディーゼル排ガスをあびた共同印刷の用紙荷受場。西さんは荷受場右の建物で製本の仕事をしていました。週刊誌部門なとが地方移転して渋滞は解消。(2007.4撮影)

その排ガスを問題にすることはなかったんですか。
西・僕も含めて、会社の誰も問題にしたことはなかった。

で、西さんのぜん息は
西・仕事中に発作が起きるんです。共同印刷所の中に診療所があって、そこに飛び込むと3時間、点滴をやっていても給料は出た。しかし、そういうことを繰り返し繰り返し、何年も何年もやっていると、会社の方も頭に来ちゃう。そして職場の中からも「あいつ、医者に行くと帰ってこない」とか「昨日は夜10時まで残業していたのに今朝は休んでいる。適当なやつだ」と怠け者のようにみられたり、言われる。
 会社の方は僕は組合の委員長をしていましたから、休んで他のことやつているんじゃないかと悪意をこめて職場に流す。しかし組合が強かったし、仲間もしっかりしていたから、がんばり続けたのです。

働く部署が変わることはなかったんですか。
西・僕は製本工ですからずっと、同じ職場でした。

同じ職場の人でぜん息になった人はいましたか。
西・みんなすぐやめちゃうので、ぜん息の人はいなかった。同じところでずっと働いていたのは僕だけだった。

病院はどんなところだったんですか。
西・いろいろ治療を受けてもいっこうに治らなかったのです。すると民医連の診療所に働くことになった先輩から「いい先生がいるから来い」といわれてその診療所に行きました。東大の呼吸器の先生がきていたんです。その当時としては最先端のお医者さんに診てもらったんですが、原因を自動車排ガスとは思わなかったんです。いかに発作を緩和するか、いろいろ診てもらいましたが、発作が起こると注射を打つだけ。呼吸困難が出るようになって、注射を打つと、すぐ治っちゃいますから、それで終わるんです。

呼吸困難な発作がひどくなったのはいつ頃からですか
西・38歳頃からだと思う

症状はどんな風に起こるんですか
西・寝ているというより食事をして寝ようとするとどうも様子がおかしい、咳をしても痰がでないから女房に背中をたたいてもらう。少し、楽になって薬を飲む。また少し楽になる。だがすぐ、元にもどる。だから拡張スプレーを使う。使いすぎると気管支がけいれんをおこしちゃう。はじめの頃はそれは知らないから使う。医者に行きたいんだけど夜中だから、もう少し我慢すれば朝になるからということで我慢する。意識が混濁して結果的に救急車を呼んで行くことを繰り返した。
 救急車で運ばれると、1カ月は入院することになる。退院するんですが退院後、ずっと勤務できればいいわけですが、半月ほどすると、またぜん息が起きる。会社も露骨に嫌な顔をする。発作と入退院を繰り返す僕に会社はとうとう「首」を言ってきた。しかし、組合もがんばって、特別休職扱いを勝ち取ったんです。僕は、公害認定患者を受けているので公害補償費があったのと、組合の委員長手当が若干あったので組合専従として、その後も働いたのと妻が経済的にも支えてくれたので、やってこれた。今日までがんばることができているんですが、もし、僕が未認定患者だったら、多分、一家離散してがんばり続けることはできなかったんじゃないか。未認定患者の救済は本当に必要です。
 発作ですが、本人の自覚としては息が吸えないと言うより、息ができなくなる感じなんです。空気が入ってこない。発作がひどいときは、こうなるんです(状態を全身で再現する)。
 息が吸えないから、この窓を開けて、こういう具合に身を乗り出して、こういう形(姿勢)で息をする。部屋の空気が吸えないから窓を開けた方が空気が吸えると思うんで、自分でそういう風に思いこんじゃってそうするんです。
 窓を開ける前に、いろんなことをするんです。苦しいから、瞬間的にキサンチンベーター吸入剤といって、気管支を拡張するスプレーがあるんですが、これをやるとやった瞬間は楽になるんですよ。ただ、発作にひどいとすぐ元にもどっちゃう。スプレーは100回ほど使えるんですが、一晩で使い切ったことが何回もあります。
 とにかく息が吐けない。吐く力がない。吐けないと息が吸い込めない。汗だくだくになって失禁状態になる。そうなると声もでない。トイレに行こうと立ち上がろうとすると筋肉を使うことになり、酸素が取られて急激な酸欠状態になって、ドーンとぶっ倒れる。その時、人がいればいいんですが、人がいなければ、そのまま逝ってしまう。苦しみ抜いて死んだ人は何人もいます。
 ぜん息患者はヒュウヒュウという音を特有の音を喉から出す。はじめの頃、それは気管支が収縮するからだと言われていた。気管支が狭まるからヒュウヒュウと音がする。ところがいまから15年前に、そうではなく気管支の粘膜に炎症が起きるために気管支の気道が狭くなるのが原因だといわれるようになった。アメリカの呼吸器学会でそういう研究発表がやられて、日本の医学会もそうなった。それで使われるようになったのがステロイド系の薬です。治療法がかなり改善されてきました。特にステロイドホルモンの投与の方法が最初の頃から見ると180度変わったことで、かってのような重症発作に陥る人は少なくなったのは事実です。
 以前は病院に入院していると重症発作で救急病院に運ばれてくる患者がしょっちゅういました。いい薬や器具が開発されて、自分で病気の程度を自己判断できるようになったので意識がなくなるまでがんばるんじゃなく、この数値になったら病院に行く。すると注射一本で収まる。薬も効果的に使うといいのですが、僕は毎日、数種類の薬を3回飲まないといけない。もう習慣になっているから飲むが、一回に飲む薬は6種類。発作がひどい時に飲むのはステロイド系のプレドニンですが、これは副作用が強い薬です。また、ぜん息の気管支拡張剤のアルカンという薬を飲むとどうしても尿酸値が高くなり、そのままだと痛風になるので尿酸値を押さえる薬を同時に飲みます。また薬を飲むと胃が悪くなるので胃の薬も飲むのですが、僕の場合は効かないので胃潰瘍の薬を飲みます。
 ステロイド系の薬を飲むとどうしても中性脂肪が高くなるのでコレステロールを下げる薬も飲む。こっちの薬は心房細胞が悪くなるので僕は不整脈の薬も飲んでいる。ぜん息の薬を飲んでいると便秘になりがちなので、便秘の薬が入るときもあります。

症状は治ってきているんですか
西・重症の発作はおこらなくなったが、治ってきているとは言えない。先ほども言ったように心房細胞が悪くなってきている。治らない病気だというと、希望がなくなるので僕は、そう思いたくない。実際、治療法が格段に進んで、重症発作を起こさないための自己管理法も開発されています。
 ピークフローメータというのは、吐く息の力を測定するものですが、吐く息の力を自分で測定し、ある数値より下になると「病院に来い」という目安があるので、昔のようにぶっ倒れたという話を聞くことはなくなりました。
 でもなんでこんなに毎日、これだけの薬をのまなくちゃいけないのかと思いますよ。

西さんが日常的に使っている医療器具と数々の薬。右腕の白く見えるのは注射をしてもらったあとのバンソコ。西さんの右わきにあるビニール袋は1カ月分の薬が入っています。
(2004.7.16西さん自宅)

東京地裁の第一次訴訟判決について
西・東京大気公害裁判の原告にしてみればあれほどふざけた判決はないと思っています。ふざけているよりも判決は基本的な事実をみていない。あの判決は12時間走行台数が4万台、道路から50メートルでせん切りをして、濃度については一切、触れていないのです。原告の中には12時間の走行台数が3万7500台のところがある。ところが4万台でないということで損害賠償の判断をしない。その原告はゼロメートル地帯にいるんです。これがもし、濃度でやっていれば、圧倒的に汚染濃度が高いわけです。なぜ4万台なのか、なぜ50メートルなのか説明を一切しないで、現に健康被害を受けているのに対象にしなかった。判決が取り上げたのは千葉大の調査ですが、千葉大がした調査は平面の道路であって、東京はそういう立地じゃない。尼崎裁判でもどこでも濃度をちゃんと取り上げているし、環境庁の調査でも高架道路の場合は汚染範囲はひろがるということをはっきり言っている。だからむちゃくちゃな判決だと思っている。
 だから、不当な判決です。全面敗北の判決じゃないかという声もありましたが、国に勝ったのは間違いないし、未認定患者の賠償を一名について勝ち取ったのは、これまでにない画期的な勝利です。第一次判決をみると壁が厚いですが、第二次訴訟の裁判では面的被害の原告側の証人主尋問が採用されるなど、第一次判決で採用されなかった部分の証言が始まるなどしています。
 また、運動面でもこれまでになかった広がりが生まれています。
 僕の場合は公害認定患者なのでぜん息にかぎっての医療費は無料ですが、未認定の人はお金がかかるので診てもらうのを我慢するんです。そのため症状を悪化させてしまう人が多いんです。ディーゼル自動車の排ガスによって健康被害を受けたのは事実なんですから、なんとしても公健法に代わる医療費の新しい救済制度創設を国・道路公団・都・自動車メーカーの費用拠出で実現してほしい。急いでやってほしい。

参考資料

公健法(こうけんほう)「公害健康被害の補償等に関する法律」

 「公害に係る健康被害者の救済に関する特別措置法(昭和44年法律第90号)」に代わって、1987年の法改正で名称変更されて制定された法律。
 法律の目的は、健康被害に係る損害を補うため、医療費障害補償費等の支給を行うとともに、公害保健福祉事業を行うことにより、公害健康被害者を保護すること。大気汚染に係る第1種指定地域とイタイイタイ病、水俣病及び慢性ひ素中毒を指定疾患とする第2種指定地域がありますが、1987年の法改正により第1種指定地域の解除が行われ、大気汚染に係る新規患者の認定は行わないことを決めました。
 ところが自動車排ガスを由来とする大気汚染は悪化ないしは横ばい、ぜん息患者は急増しています。しかし国は新規患者の認定はしない方針をかたくなにとり続けているため、医療救済を受けられない未認定患者が急増。症状の悪化だけでなくぜん息が原因で解雇され、一家離散や生活困窮になる人が増えています。


ステロイド薬の副作用

重症の副作用

  • 感染症の誘発・増悪
  • 骨粗鬆症と骨折、低身長
  • 動脈硬化病変
  • 副腎不全、離脱症候群
  • 糖尿病の誘発・増悪
  • 精神障害

軽症の副作用

  • 異常脂肪の沈着(中心性肥満、満月様顔貌、野牛肩)
  • 多毛、皮下出血、、皮膚線条、皮膚萎縮、発汗異常
  • 後嚢白内障、緑内障、眼球突出
  • 浮腫、高血圧、うっ血性心不全、不整脈
  • ステロイド筋症
  • 月経異常
  • 白血球増多

リウマチ・アレルギー情報センターHPより


ぜん息患者の治療の到達と諸問題

 吸入ステロイドを中心とした抗炎症療法が進歩したおかげで、軽症喘息に対しては十分な治療効果が期待できるようになったが、約1割とされる重症・難治性喘息の患者は、全身的ステロイド薬の継続を余儀なくされ、Quality of Lifeの向上が大きな課題である。小児喘息においても、授業欠席、社会生活不適応、心身両面の成長障害など多彩な問題を抱える重症群が存在する。喘息が難治化する要因としては、環境因子、免疫応答、強い炎症、リモデリング、遺伝要因など多彩なものが予想されている。

引用:
「気管支喘息の難治化の病態・機序の解明と難治化の予防・治療法の開発に関する研究」(厚生科学研究情報/平成12年度〜平成14年度)

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